12月20日、新月。
物音が少し遠くなるような、内側が静かになるような——そんな「区切り」を感じる日でした。
翌21日は、「今年最後の大開運日」。
**何事も赦され、道がひらくといわれる「天赦日」**と、
**蒔いた種が何倍にもなって返ってくるとされる「一粒万倍日」**が重なる、
とても特別な一日です。
新しい願いを心に描いたり、
これから育てたいことにそっと意図を向けたり、
静かに感謝を言葉にするのに、とても向いている日。
そして、本当に大切にしたいのは、その先にある数分間です。
21日の夜が終わり、時計の針が0:00で重なる。
そこから3分後。
午前0時03分——。
2025年の冬至点は、この「日付が切り替わってすぐ」の場所にやってきます。
(暦の基準:国立天文台 暦要項)
世界には、古代からこの“切り替わり”に祈りを捧げてきた人々がいます。
火を焚き、石の奥に差し込む光を待ち、歌い、沈黙し、祖先に手を合わせてきた人々。
冬至は、ただ「昼が短い日」ではなく、光が戻り始める合図として生きられてきました。
世界の冬至:古代の儀式と祈り(なぜ人は冬至を祝ったのか)
冬至は、闇がいちばん深い日。
けれど古代の人々は、この日を恐れの頂点としてではなく、希望の起点として祝いました。
太陽が戻る——それは命が続くこと。畑が春へ向かうこと。人が冬を越えること。
生きることそのものの確約でした。
北欧のユール(Yule):闇に灯す火、共同体の祈り
北欧やゲルマン圏では、冬至の頃をユールの季節として迎え、火を絶やさぬようにしました。
そこにあったのは「闇を消す」よりも、「闇の中で生きる」という知恵です。
・火を囲み、歌い、食を分かち合い、冬の夜を越える
・ユール・ログ(薪)を燃やし、灰を守りとして残す地域もあった
・火は、太陽の代替であり、心を支える“約束”だった
「火は、闇と戦わない。闇の中で、私たちが迷子にならないために灯る。」
アイルランドのニューグレンジ:数分の光のための、五千年
ニューグレンジは、冬至の朝に太陽光が通路を通り、石室の奥を照らすよう設計されてます。
それは、ほんの短い時間。
それでも人々は、その数分を迎えるために石を積み、暦を読み、祈りを重ねました。
・闇の奥へ届く光は、祖先や死者への合図だったとも言われます
・「待つ」ことが儀式になり、「差し込む」ことが祝福になった
「短い光ほど、人の心を深く照らす。」
ストーンヘンジ:冬至の太陽と“門”の記憶
イギリスのストーンヘンジは、季節の転換点と関わる場所として語られます。
冬至に人が集うのは、単にイベントだからではなく、「この日を境に光が戻る」という感覚が、いまも身体に残っているからかもしれません。
ホピ族のソイアル:精霊と共に“世界を整え直す”
北米先住民ホピ族には、冬至の時期にソイアルと呼ばれる儀礼があると伝えられます。
冬至はただの天体現象ではなく、世界の秩序を整え直す“節目”として扱われてきました。
古代ローマ:光の勝利、太陽の復活
古代ローマでは、冬至の頃に祝祭が行われ、光が戻ること、太陽が力を取り戻すことが祝われました。
文化の違いを越えて、「光が勝つ」感覚が繰り返し現れるのが、冬至の面白さです。
アンデス・インカ:太陽神への感謝、季節の循環
南米のアンデスでも、太陽の循環は暮らしの中心にありました。
太陽が戻ることは、作物が育つこと、命が続くこと。
祈りは、自然と暮らしをつなぐ言葉でした。
日本の冬至:湯と食と、暮らしの中の祈り
日本では冬至に、ゆず湯やかぼちゃなどの習慣が残っています。
私はこれを「運気のため」というより、身体をいたわることが祈りになる、その美しさだと思っています。
温める。整える。眠る。——それは、光を迎える器をつくることです。
「世界は違っても、人は同じ夜に“光が戻る”ことを願ってきた。」
冬至点 0:03:その瞬間の迎え方(深夜の“整え方”)
2025年の冬至点は、12月22日 0:03(日本時間)。
つまり、21日が終わり、0:00が重なり、3分後に切り替わる。
この配置は、言葉にするととても象徴的です。
私は冬至点を「何かを強く願う瞬間」だとは思っていなくて、
むしろ、余計なものをそっと外して、光に席を空ける時間。
静かな正直さ素直さが似合います。
もし眠くなったら、眠くていい。
もし気持ちがまとまらなかったら、まとまらなくていい。
0:03に必要なのは、立派さではなく、「今ここにいる」だけです。
「冬至点は、何かを足す時間ではなく、静けさを取り戻す時間。」
冬至の夜のリチュアル:道具がなくてもできる祈り
冬至のリチュアルは、特別である必要もなく、
続けられる形ほど強いと思います。
ここでは「誰でも、今夜できる」ものだけを置きます。
1)灯り:一本だけ、光を増やす
白や金のキャンドルがあれば理想ですが、なくても大丈夫。
小さな明かりをひとつ増やす——それだけで、心は“光側”へ寄ります。
・灯りをつける(または部屋の照明を少し落とす)
・目を閉じて、深呼吸を3回
・心の中で「光を迎えます」と言う
2)書く:二行でいい(手放す/迎える)
文章にしなくていい。単語でいい。
たった二行で、冬至は十分に動きます。
・手放す: 今年、もう終わっていいこと
・迎える: 来年、育てたいこと
※誰にも見せない紙に、いちばん正直な言葉で。
3)水:浄める(湯・足湯・手を洗う)
冬至の過ごし方に「温める」がよく出てくるのは、理にかなっています。
体が緩むと、心の硬さもほどけるから。
湯船が難しい日は、足湯や、丁寧な手洗いでも十分です。
4)言葉:一行の感謝を置く
冬至の祈りは、長文である必要がありません。
一行がいちばん強い夜があります。
「ここまで来た私に、全ての存在に、ありがとう。」
冬至の過ごし方:朝・昼・夕方・深夜の流れ(実践用)
朝:空を見る(“探す”より“受け取る”)
冬至の朝、何か特別なサインを探さなくてもいいし、
空を見て、深呼吸を3回。
それだけで、内側の騒がしさが一段静まります。
もし言葉を添えるなら、短く。
「今日、光が戻り始める」
それで十分です。
昼:ひとつだけ、手放す(大掃除は不要)
冬至は、暮らしの余白を増やす日。
一点だけでいいから、軽くしてください。
・財布の中(レシート、古いカード)
・玄関(靴を整える、たたきを拭く)
・スマホ(写真を10枚だけ削除)
・紙(期限切れのメモ、DM)
「捨てる」というより、「次へ行ける形にする」。
冬至の力は、こういう生活の整え方に素直に反応します。
夕方:温める(身体が緩むと、心も緩む)
ゆず湯、足湯、温かいスープ、根菜、かぼちゃ。
どれも、冬の身体を守るための知恵です。
私はここに、古代の祈りと同じ種類のやさしさを感じています。
冬至:0:03の迎え方(いちばん短い祈りでいい)
0:03の10分前: スマホを置く。照明を少し落とす。深呼吸。
0:03の瞬間: することは、ひとつだけ。
おすすめ三択(迷ったらこの中から1つ)
A)「ありがとう」と一言だけ言う
B)灯りをひとつ増やして「光を迎えます」と心で言う
C)胸に手を当てて、意図を短く置く(例:私は私のペースで育てる)
「冬至の夜は、立派にするほど遠のく。
静かにするほど近づいてくる。」
冬至に“しなくていいこと”
・無理に前向きになろうとする
・完璧な儀式をやろうとして焦る
・正解の作法に合わせて自分を責める
・できなかった部分ばかり数える
冬至は、闇を否定しない日。
疲れも迷いも含んだまま、光へ渡していく日です。
私の冬至:昨年の「感謝だけ」が一年を変えた話
私は毎年、この瞬間に瞑想をしていますが、
昨年は、あわただしく冬至の日を過ごしていました。
“整えたくても整えられない”日って、あります。
大事にしたいのに、現実が追いつかない日。
そんな中で、ギリギリで座り、私は何も考えずに感謝だけをしてやり過ごしました。
するとこの一年、どうでしょうか。
新月のたびに祈っていたことが、静かに、形になっていき
派手な奇跡じゃない。けれど「叶っている」と言える現実が積み重なり
冬至の時にただ思っていた、感謝があふれるような年末になりました。
冬至の祈りは、
「願う」よりも、
「足す」よりも、先に「感謝で満たす」。
冬至は、人生にありがとうと席を用意する日になのだと私の中では思っています。
今年、0:00が重なって、3分後に冬至点を迎えるこの夜のために、
冬至の祈りについて参考になればと思い、書きました。
はじめて読む人にも届くように。以前読んでくれた人にも、新しい言葉で届けるために。
この冬至が、あなたにとっても、やさしい切り替わりになりますように。
光は急に増えない。けれど確実に増える。
その始まりを、あなたの中で迎えてください。
今年の冬至が、あなたの暮れをあたたかく照らし、
次の一年へ、必要なものだけを連れていく夜となりますように。
冬至点後の最初の特別な朝日(今年は22日の朝)
まさに「初日の出」としての力強いエネルギーは、意識して受け取ってくださいね✨

